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今月のよもやま話

平成19年6月・水無月

家康が恐れた男(真田昌幸)

●今月は、真田昌幸(さなだまさゆき)が死亡した月です。
徳川家康が恐れていた人物といえば、
始めは、武田信玄そして、豊臣秀吉ですが、
もう一人、苦手な人物がいます。それが、昌幸です。
信州の小さな大名ですが家康にとって苦手な大名です。
●家康が北条氏直(早雲から五代目)と和睦した時に、
お互いの領土を定めました。その条件として、
家康は、上州沼田(昌幸の領土)を氏直に譲る事でした。
しかし、この事は、昌幸の承諾を得ていませんでした。
当然、昌幸は不服で家康に抗議しました。
「沼田は、家康に貰った物でなく、
自ら斬り取った領土である。
ですから、家康の思い通りにならない。」と断りました。
怒った家康は、昌幸(上田城)を攻めました。が、
昌幸の策略にはまり惨敗しました。又、
15年後の「関が原の戦い」の時も、てこずりました。
●大阪の陣では、幸村が大阪城に入った事を聞くと
家康は震えて「父(昌幸)か、子(幸村)か」と尋ね
障子に掴まったところ、障子がガタガタと音がしました。
この時、昌幸は、既に亡くなっていました。



●写真は、上田城正面右手にある真田石です。
昌幸の長男・信之が松代へ転封された時に、
持って行こうとしましたが動かなかったと言われております。
●7月のよもやま話は、「親心(豊臣秀吉)」です。又、聞いて下さい。

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