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今月のよもやま話

平成14年4月・卯月

直江状(直江兼継)

●今月は、徳川家康に、直江兼継の返書(直江状)が届いた月です。
●家康が上杉景勝(謙信の養子)に
「謀反の疑いが有る」と、いいがかりを付け、
その疑いを晴らす為に、「大阪へ来い。」
と使者を会津(上杉景勝の領国)に派遣しました。
家康は、「もし、来なければ、攻め滅ぼす。」と強い姿勢でした。
この返事を景勝に代わって、家老の兼継が書きました。
「謀反など、ありえない。大坂へ行く必要はない、来るなら来い。」
と言う果し状です。
この返書が後世「直江状」と呼ばれています。
当然、この返書が家康を激怒させ、
関が原の役」の引き金となりました。
●景勝、兼継主従は、石田三成、と共に、
正義を重んじ、狸親父・家康に真正面から立ち向かいました。
●そして、上杉家は、「関が原の役」で、交戦する事なく敗者となりました。
兼継は、勝者の家康に面会の折、
死を覚悟して、こう言い放しました。
「私は、天下一の弓取り内府公(家康)と戦いたかった。」
●家康は、兼継の男気に惚れ、本来ならば、
上杉家断絶・切腹のところ、
気骨ある素晴らしい人物と言うことで、
上杉家は米沢へ減封だけで済みました。これは、特例です。
●兼継は、景勝より、6万石を貰いましたが、
5万石を同僚、家臣に分け、さらに、5千石を小身の者に与え、
自分は、5千石で暮らしました。
下の写真は、米沢の林泉寺に有る穴の開いた特殊な兼継のお墓です。


●兼継は、「いざ」と言う時には、
自分の墓石をも鉄砲の玉除けにするつもり、だと云われております。
●今月はこれにてお仕舞いです。
有難うございました。
●5月のよもやま話は「鬼の土方」です。又、聞いて下さい。

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Copyright 西室 博史 2002