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今月のよもやま話

平成13年11月・霜月

会津若松の話

●前にもお話した様に、私のお店が所属する商店会で、
他商店街視察旅行が有ります。今回は、会津若松でした。
●会津は、米沢と同じく、歴史の話題の多い町で、
又、似ています。伊達政宗、千利休の息子少庵の話、
上杉謙信の二代目景勝の入府、そして、会津と言えば幕末。
●さて、会津若松は、ご存知の様に、幕末で最大の悲劇の藩です。
[ちなみに蒲生氏郷が若松と名付けました。]
●会津藩は、肥前佐賀藩と共に藩士の教育水準が最も高く、
武勇では、薩摩藩と並んで最も、強い藩でした。
その為、幕府より、京都守護職の話が有りました。
●重臣西郷頼母[たのも]は、藩主松平容保[かたもり]に直言しました。
「今、この難局の時に、その任務を受けるのは、
薪[たきぎ]を背負って火中に飛び込むがごとし。」
と幕命を辞退するよう勧めました。が、
しかし、ついに、受けざる得なくなり
「されば、君臣共に京の地で死のう。」
と皆で抱合い泣いたそうです。
●さて、白虎隊ですが、白虎隊は、薩長軍に大敗し、
城が燃えていると勘違いをして、
「城が落ちた」「切腹しよう。」
と考え、誰一人反対意見が出ませんでした。ここにも、
会津藩の教育の徹底さが現れています。
●藩主容保が「これ以上、士民を苦しめるわけにはいかない。」
と降伏を告げた時、
「皆、只、泣き尽くすのみ。」
と伝わっております。
●初めから、終わりまで涙涙です。
●そして、何処の地区でも、一番の城下町が有った土地が、
廃藩置県で、その県庁に指定されたのに、
会津だけは、違っておりました。福島市になってしまいました。
薩摩、長州の意地悪でした。
●話が違いますが、「さざえ堂」(下の写真)が面白いです。


●サザエの形に似ている事からその名が有ります。
飯盛山のすぐ下に有ります。
●今月はこれにてお仕舞いです。
有難うございました。
●12月のよもやま話は「閻魔大王への使い」です。又、聞いて下さい。

ご指摘・ご意見等ありましたら、是非 こちらまでメール下さい。

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Copyright 西室 博史 2001