令和7年6月・皐月
「武蔵鐙」(古織公へ 易より)

●今月は、6月付けの日付が有る利休の手紙の話です。
[久しぶりにポロンとぺティが出てきました。20年以上前の写真です。
写真は、石垣山城の井戸曲輪です。後ろの大きな窪みが井戸です。]
●この手紙は、「
武蔵鐙・むさしあぶみ」と後世呼ばれています。
利休が
小田原攻めの陣中から
古田織部に出した手紙です。
織部は、
浅野長政に属し、
八王子城、
忍城等の関東中にある
北条氏の支城を転戦していました。
●この手紙には、戦の厳しさ、緊迫感が感じられません。
この事こそ、秀吉の戦の方法なのです。味方の消耗を極力減らす方法です。
●この地に大きな竹が有ったので、その竹で「
花入れ」を作った。
それを、息子・
少庵へのお土産にするつもりと。
とても、戦とは思えない状況です。
[上の写真は、利休が竹を取った跡に有る碑(静岡県伊豆の国市)です。
韮山の反射炉の直ぐ近くです。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。