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今月のよもやま話

平成22年12月・師走

最後の将軍(徳川慶喜)

●今月は、第15代将軍に徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が就任した月です。
●慶喜は、水戸徳川家の斉昭(なりあき)の七男として生まれました。
江戸の藩邸・小石川の屋敷(下の写真)で生まれました。
生後七ヶ月で水戸に移り、10歳で一橋家を継ぎました。そして、
新設された将軍後見職を経て、30歳で第15代将軍となりました。
●歴代将軍の中で1年間という短い在位でしたが
一番辛く難しい時代でした。
●慶喜は、水戸の教育を受けていましたので
天皇が一番偉く、征夷大将軍は天皇から任命されるもので
徳川将軍家は、徳川家の本家と考えていました。
ですから、鳥羽伏見の戦いの時に、薩摩長州から錦の御旗が揚がった時には
天皇は、神聖なものなので天皇を相手に戦う事は出来なかったのです。
だから、大坂に家来を置いたまま松平容保
松平定敬、酒井忠惇、板倉勝静らと江戸へ撤退しました。
江戸で、慶喜はひたすら謹慎しておりました。
自分が賊軍の汚名を着せられない為に、
賊軍の大将として首を刎ねられない為に
徳川家が後世、賊軍の汚名を残さない為にでした。
ただ単に命が欲しいから謹慎していたのではないのです。
●慶喜は、歴史を見る目が有りました。



●写真は、慶喜が生まれた小石川の水戸藩邸(後楽園・東京都文京区)跡
に有る円月橋です。
●この庭園は、水戸光圀(水戸黄門)の代に完成しました。
その後、八代将軍吉宗が江戸城にこの円月橋作ろうとしましたが
遂に果たせなかったと言われる難しい設計の橋です。
●1月のよもやま話は、「坂下門外の変」(安藤信正)です。
又、聞いて下さい。

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